Bob Goemansさん追想記2

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この時から父の人生の第2期が始まりました。間違いなく最も実り多かった時期だと言えます。この期間は、1960年代中ごろにリンカンシャー州を離れて南部海岸に引っ越すまで続きました。そして、父こそ育種家であったということを、私がひと時たりとも忘れられないだけの記憶を残してくれた時期でもあるのです。今日、この教会のここにある花たちにちょっと目をやってみましょう。フリージアとアルストロメリアがあります。ひょっとしたら今、みなさんが見ている花は、もしかしたら父の業績無しにはここに存在しえなかったかもしれません。

1938年に、父は温室を買いました。これは、父が自分の作物を一年中栽培できるようになったことを意味しましたし、それと同時に彼の色々なアイディアを実現できる機会が増えたことにもなったのです。しかしその後の世界大戦で中断されたりして、育種は遅遅として進みませんでした。温室は大部分がトマトの生産に充てられてしまい、花の育種材料はほんの片隅でかろうじて保存される程度になってしまっていたのです。

世界大戦が終わってからすぐに父は育種を再開し、それに全力で取り組みました。先ほどご紹介したフリージアとアルストロメリアは、父が育種していた多くの植物のうちのわずか2つに過ぎませんが、父はフリージアで最初の成功を収めたのです。それには3つの大きな功績がありました。まず第1の功績です。1950年代、当時はオランダがフリージア生産の大部分を占めていたのですが、なんと生産者が採用した新品種のすべてが父の品種という状況にまでなったのです。そして1970年代のピーク時には、世界のフリージア生産面積の75%が父John Goemansによって育種された品種で占められるまでになりました。

第2の業績は、1960年に発表した世界初の八重咲きフリージアです。これこそ正真正銘、画期的な品種で、何年もの長い生みの苦しみを経てようやく形になったものでした。この功績は英国王立園芸協会(RHS)に認められ、メダルを授与されました。

第3の業績は、彼が1960年代前半に発表した全く新しい巨大輪咲きの種子系フリージア各色でした。当時イギリス本土向けのフリージア生産の大部分はGuernsy島で行われていましたが、その生産体系を飛躍的に向上させたのです。そしてフリージア育種での父の功績を称えるために、毎年オランダで、その年発表された新品種の中で最も優れたものに、John Goemansトロフィーが授与されるようになりました。

 (2008年の受賞記事はこちら。)
http://www.bloomitsinthecan.com/index.aspx?FilterId=974&ChapterId=7881&ContentId=30139

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コメント(1)

追想記2では、ゴーマン氏の優れた功績が、語られています。
”ダブルファンタジー”の誕生です!
ゴーマン氏は、この花にどんな思いを・・・などと・・・。
そして、6年前、教会にはフリージアとアルストロメリアがあり・・・。
優しい笑顔のゴーマン氏の写真が浮かんできました。

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