Bob Goemansさん追想記最終回

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1964年に父は再婚しました。そして南部海岸沿いのBognor Regis(西サセックス州)に引っ越すことを決断したのです。結局、これが父の実り多き時期の終わりを意味することとなったのです。父はこれ以降、2度と育種でこれまでのような大きな成功を収めることはありませんでした。

父は自分で育種したアルストロメリアを生産するための特別な温室を建設中だったLagnessの土地を購入しました。父はフリージアとアルストロメリアの育種を別の人に託し、自分ではこれまでとは違うタイプのグラジオラスの育種に挑戦する準備を整えていました。父が何年もの間辛抱強く仕事を続ける中で、私は父が細心の注意と几帳面さで、選抜と交配をこなすのを目の当たりにしました。しかし不運にも、父が面白そうな品種を生産するまでに至った時に、世の中はそれを受け入れなかったのです。父はとてもがっかりしていました。

父の2番目の妻は1985年に亡くなりました。それから去年までの16年間、父は1人暮らしだったのです。父は仕事ができる時間がある限り働き続けました。なぜならそれが一番の楽しみだったからです。父は1人きりの生活は好きではありませんでした。それでも父は、目が悪くなり車を運転して遠くに出かけられなくなるまでは、1人でもうまくやっていました。その頃既に父は92歳になっていたのです。いくつになっても父は誰の助けも必要としませんでしたし、他人に頼るのも好きではありませんでした。

2000年の12月に、父はAvonmoreケアセンターに入居しました。その頃にはもう1人暮らしを続けるのが危険な状態になっていたからです。入居当初、父は人の世話になることを感謝していませんでしたが、次第に周囲の暖かい手助けのありがたさに気づき、ホームの仲間内での評判も良くなりました。

父は死ぬまでずっと育種家であり続けました。先週私が彼の部屋の食器棚を片付けている時、私は小さな箱に入った種子とその莢を見つけたのです。そういえば夏に、父にピンセットが欲しいと頼まれたのです。きっと父は、誰かからお見舞いのお花を頂く度に部屋でこっそり交配していたのでしょう。

今、父は2人の妻、6人の姉妹、7人の兄弟が待つ場所に旅立ちました。私達は天国がどんなところであるか想像をめぐらすことしかできません。でもひとつだけ私が自信を持って言える事があります。それはもし天国に花があったら、既にもう父はその改良を始めているに違いないということです!

                                                    Bob Goemans

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キリンアグリバイオ? 竹下大学


なんだか目頭が熱くなってきました。
竹下さん、ありがとうございます。
そしてボブさんに手紙を書いてみたくなりました。(書けるのかなぁ)
時間がかかるかもしれないけれど、ファンタジスタを代表して想いをつづってみようと思います。
やぎゅうしんご。

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コメント(20)

竹下さん、何と言ったらいいのか。。。
ありがとうございますでは足らない
あふれる感情が抑えきれない
こんな素敵なエピソードを知ることができ、感謝でいっぱいです
ホントに、ものすごくいっぱい、ありがとうございます
Bobさんにも真吾さんにも、感謝でいっぱいです

 「小さな箱に入った種子とその莢」

たまりませんね、生涯育種家であり続けたゴーマンさん
格好よすぎです
私も、生涯離すことのできない
いつまでも携わっていたいモノがあります

ゴーマンさんのように素敵な物語のような生き方をしていきたい・・・

ここの処泣いてばかりです。
竹下さまありがとうございます。

みんなでファンタジ-を追いかけて追いかけていたのは天国のゴ-マンさんと一緒に歩んでいたんですね
・・・・ゴ-マンさんとジョンと共に歩んでいた・・・・ボブさんが父ゴ?マン氏を思う気持ちもいっぱい伝わってきます。

100年という歳月の間にゴ?マン氏が辿られた道のりを知ることができました。ありがとうございます。

真吾さん是非ボブさんに・・・お願いします。私もつづってみたいなと思います。でもどうやって?

竹下さん、ありがとうございます。
ゴーマン氏の生涯を語ってくださったボブさんに、感謝しています。
竹下さんのお陰です。
本当にありがとうございました。

真吾さん、是非ファンタジスタを代表して、ボブさんに・・・この感動を・・・お願いします!

ゴーマンさんの人生を私たちが知るって、すごいことだなってあらためて思いました。

その人の生き方がいろいろな人たちを感動させてくれるって本当にスゴイこと。

息子さんがお父さんを尊敬していなければできないし、遺したものがずっと繫がらなければできないことだと思うし。

私もそんなふうに生きていきたいなあ!

sueさん、今はこう思えるようになったけど、それまではヒドイものでした(>_

山男
ゴーマンさんと父上の話、父親として胸に沁みました。父を敬愛する息子、自分の生き方を身をもって示した父、素晴らしい父子です。私自身と比べて考え込みました。
あーちゃんママさんへ、確かに私は「頑張る」と言う言葉は好きではありません、でも現実には9年位前に脳梗塞で入院した時、そして4年半(今日7月14日が月命日でした)前に息子が交通事故で亡くなった時その悲しみを胸の内に無理やり押し込んだ時です、今日墓前で考えました、知らない内に「今でも無意識に頑張って居るのではないか?」と。だから嫌いと言っているのではないかと。
でも、自分では肩の力を抜いている心算です、此れからも。

小林さんの言うとおりです。

私の母は乳がんで亡くなったのですが、自分からは病院に行かず亡くなりました。

私は今でも夢で病気になった母がでてきます。

生きる希望を持つために子供を産もうと思ったのです。

でも生まれてきた子は自分の力だけでは生きていく力がないように思えた。

今はあーちゃんのような子でよかったと思うのです。

生き物の持ってる大切な力を感じられるから。

「ラジオビタミン」聞いたよっ!
って先週 突然 主人が言っておりました。車の移動中に偶然に聞いたそうです。嬉しくなりました
・・・・・。耳を傾けていた様子が伝わって来ましたから・・・嬉しくて・・・・。


小林正一さん暑い中汗をふきふきお帰りなさいませ・・・・。
「頑張る」って気持ちとっても大切な事かと思います。阪神大震災の時・・・みんな頑張りました。
水も無くて食べるものも無くてガスもつかなくてみんな辛抱することばかりだったのですが でもあの時は助け合った楽しさの方が大きくて毎日活き活きしておりました。ただ回りから「どうか頑張って下さい」と言われるとみんな泣いていたのです。私もその時以来
自分には「頑張れ」と励まして激励しますが・・・人様には「頑張って下さい」と言えなくなりました。

自分が「頑張れ」・・・大切にしたい言葉だと思っています。

我武者羅にがんばっていた時期がありました。ちょっと休憩してまた元気がみなぎって我武者羅に頑張って・・・・その源はいつも回りの家族や仕事仲間や両親や姉妹でした。いつもいつも一人では無かったのです。先に旅立った両親が今どうしているか私にはわからないのですが・・・きっと楽しく笑って暮らしている自分を安心してみてくれるのではないかと思って思いっきり笑ったりして・・・{もともと天然ですから家族に笑われているのですが・・・。}

私もここぞという時はまた頑張ります。今は肩の力がぬけたままなのですが・・・・{笑}

あ?ちゃんママさん私も
何度も何度も同じことを
思いました。
今 鳥肌が腕に出てしまいました
「子供の運命をどうか私と取り替えて下さい」と何度も思いました
でも私が親で良かったのです。


子供が私の子供で良かったのです
子供を思う気持ちを捧げる事が出来るから・・・・。
この子に出会えて本当に良かった
叫びたくなるほどです。

生きる姿をいっぱい教えてくれています。こんな話が出来るあ-ちゃんママさんに出会えて感謝でいっぱいです。これって真吾さんのお陰です・・・・・。

ほとんどこんな話は出来ないのです。心の奥に大切に締まっていますから・・・・・。

本当にこんな話が出来ること・・
感謝しています。小林さん感謝しています。

山男
あーちゃんママさんへ
人生色々あります、母上様の事お辛いとお察しします、子供は親にとってどのような状態であろうと「宝!」なのです。大事に育てましょうよ! そして夢の花を咲かせてお子さんに見せてあげましょう!
私も息子に見せたい、それまでは病と闘います。そしてせめて再来年の息子の7回忌は自分の手で執り行いたい。
駄目親父

来年、母の7回忌です。

ファンタジー間に合うかな!

今からあーちゃんの施設の夏祭りに行ってきます!

パパがカットしてくれて、じんべい着ると、座敷わらしにしか見えない...

あーちゃんママさん!おかえりなさい。
夏祭りでの、あーちゃんの愛らしい姿を想像して、抱きしめたくなりました。

あーちゃんママさん!
Sueさん!
貴女方は、選ばれた親なのです!
”ハンディを持って生まれてくる赤ちゃんは、親を選んで生まれてくる”・・・という話を聞いた事があります。

守り育てる事ができる選ばれた親という意味です。

私は何も出来ません。
応援しているだけです。

山男
あーちゃんママさんへ、母上様の7回忌にファンタジーが間に合うと良いですね。あーちゃんの甚兵衛姿可愛いでしょうね、見てみたい、座敷わらしは福を持ってくるといいますよ、良いじゃないですか。
  駄目親父より

施設のイベントでは小林さんのような方が手伝いにきてくれます(^o^)

hanaさん、私は最初どうして私のところに生まれてきたのだろうと思ってました。
ほかのもっと優しいひとのところへ生まれてきた方が幸せだったんじゃないかって...

それぐらいスゴクないんです。
そのことが伝えたくてココにいるのかも!

あーちゃんママさん!
そんなことありませんよ!
あーちゃんは、ママが大好きですよ。
無理せずに、時々ふ?っと、肩の力を抜いてください。
いつも何時も優しくなんて・・ムリですもの。

お母様、来年七回忌とのことですが・・自分からは病院に行かずに亡くなった・・そのところが気になりました。私も過去にガンの告知をされた時のことが重なりました。

hanaさんは以前がんの告知をされたんですか?

治療はされたのですよね?

母は、病院が嫌いで行かなかったのです。

母が自分で決めたことなので、私もそれでいいと思っています。

そんなに簡単なことではないですけど・・・。

あ、それから。

真吾さん、六本木の新企画楽しみですね!

ホント真吾さんほど次々にオモシロイことするひといないですよネ。

ドラえもんのぽっけみたいだ♪

山男
hanaさんへ、癌の告知はする方もされる方も辛いです。私は父、義母二人を癌で失いました、二人とも末期でした。医師からは知らせずに痛み止めのモルヒネを服用をと言われ、病名を偽りました。しかし二人とも察していました。苦しかった、偽りの看病は。父は私が勤務中に亡くなりましたが、看取った姉に「正一」の嘘は嬉しかったと言ったそうです。義母は死の前日に会った時、「有り難う」と言ってくれました、その中に私の嘘を知っていた事を知りました。
私は毎年元日に日記のトップに延命治療は一切無用、癌の告知は必ずする事と書いて署名、捺印をしています、家内にも口頭で伝えています、残る者に迷いをさせたくない。或いは間違っているかも知れませんが此れが私の妻への愛と思っています。
駄目親父

山男
あーちゃんママさんへ
貴方の母上の気持ち判るような気がします。私の父も胃癌で死にました、医師からの指示で病名を隠していましたが、本人は察して「俺は家で死にたい」と強引に退院し数ヵ月後に亡くなりました。
告知をする、しないは色々意見があります、抗癌治療で治る見込みのある場合、末期の場合と夫々あるでしょう。父には最後まで告知はしませんでしたが、父は看取った姉に「正一」の嘘は嬉しかったと言って逝ったそうです。
 駄目親父

私も小林さんの考えが好きです。

母が決めてくれたことで、悩まずにすみました。

ただ、現実はスゴイです!

考えが違う人がいてもいいと思います。

...いろいろな問題を考えてみるのがLove&Peaceなのかも!

あーちゃんママさん、そうなんです。
初期ガンだからと、手術を勧められましたが、入院が嫌でとても悩みました。
医師から、直接告知されたので、私から聞いた家族が、大変でした。
結局、治療を受けたのですが、初期でなかったら、私も行かない。

小林さんと同じ事を、私も誕生日に書いて、そして折に触れ、話しています。

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