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2014/01/14

ミャンマー ワッチェ慈善病院 ジャパンハートの活動

  • ミャンマー ワッチェ慈善病院 ジャパンハートの活動の画像
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昨年末、クリスマスイブの12月24日から2014年1月8日まで、約半月ミャンマー で医療活動を行うジャパンハート に同行させていただいた。
これからスーダンやカンボジアに加えて、このブログでもジャパンハートの活動を少しずつお伝えしていきたいと思う。
今回はヤンゴンで、子どもたちを人身売買から守り、 子どもの未来を育む養育施設ドリームトレイン 。
ミャンマー中部マンダレー近郊のザガインにあるジャパンハートの活動の本拠地でもあるワッチェ病院 、そして北部で外国人の立ち入りが規制されているミッチーナ総合病院でのミッションに同行撮影した。
上の写真は、ワッチェ病院で12月27日に撮影したものである。

吉岡医師は語る 「当初は、ちまちま人を助けてもきりがないと比喩された。しかしやめるわけにはいかなかった」と。

とにかくどんな現場、状況であろうが人を助けるんだという医者としての原点を強く感じた。
この日も吉岡医師を中心にミャンマー人ドクター、日本からのドクター、そして両国の看護師たちによって手術が深夜まで行なわれていた。この日の手術件数は23件にも達していた。
主な疾患は甲状腺肥大やあらゆる腫瘍疾患、口唇口蓋裂などだが、さまざまな疾患の患者が訪れる。

吉岡医師が話してくださる 
「すべての命は救えないかもしれない、たとえ病気を治せなくても 病人と心は救える そういう医療があると信じている。心が救われる医療・・・生まれてきて良かった、大切にされてるということ、どんな命も求められて生まれてきた だから少しでも明るい方へと」 

その強い信念のもとに患者と向きあっていることがひしひしと伝わってくる。

手術10日後の1月6日 笑顔が戻った子供さんの姿に、心の底から感涙の気持ちが湧きおこる。
「・・・少しでも明るい方へと」 自分の心のなかに大切な言霊が響き渡っていった。

あかりを灯し続けることを・・・誇り高き日本人、ミャンマー人 ・・・愛すべき人がここにもいる。

2013/12/26

放送のお知らせ・・・浜田省吾BSライブ特番 2014年1月2日再々放送

  • 放送のお知らせ・・・浜田省吾BSライブ特番 2014年1月2日再々放送の画像
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2013/7/28放送されたBSプレミアム「浜田省吾ライブスペシャル~僕と彼女と週末に」が
9月に再放送、そして2014年1月2日再々放送されます。


番組中、私が担当した『PAIN』では、東日本大震災の写真をディレクター、浜田省吾本人からの強い要望により構成させて頂きました。
上の写真は2013年7月に撮影したもの・・・仙台市名取市閖上日和山。
私自身、震災後3月14日川原医師とともにここに入り活動をしてきました。
この地に2013年5月にJ.S.FOUNDATIONがソーラ街路灯を設置・・・なにもなくなった場所にあかりを灯し続けています。
奥に見える灯りは仙台市内の街のあかりです。

この『PAIN』への想いはまた改めてブログで綴りたいと思います。

ソーラ街路灯はここを始め東北各地にすでに200灯設置してきました。
その想いへの詳細はJ.S.FOUNDATIONホームページ をご覧ください >> http://www.js-foundation.com/...
(J.S.FOUNDATIONは、浜田省吾提唱のもと1999年に設立、多くの方のご寄付により世界各国に支援を続けてきました)

見逃された方も、初めての方も、何度も観られてきた方も、改めて新年に日本への想い、世界への想い、この惑星への想いを・・・そして大いなる人のこころ 人の愛を浜田省吾の壮大なロックとともに感じていただければと思います。

深いです、シビれます、泣けてきます、力が湧いてきます・・・ぜひご覧になってください。

http://shogo.r-s.co.jp/news/... …‬


2011年夏 被災地に咲くひまわりの一輪の花のなかに愛をみつけました。

あかりを灯すことを

2013/12/24

ミャンマーへ ・・・あかりを灯すことを

  • ミャンマーへ ・・・あかりを灯すことをの画像

早朝6時、成田に向かいます・・・今日クリスマスイブから年末年始を超えて新年8日までミャンマーに渡航します。
昨日、国内での撮影を終えドタバタのなか準備をたぶん終えて? 泥眠3時間、今日も起き上がります。

長年ミャンマーで医療活動を行なっているジャパンハート吉岡医師の活動に同行します。彼はミャンマーを拠点に今ではカンボジア、ラオスでも診察、日本に於いては311大震災を経て東北にて医療活動を継続、同時に離島医療をも手掛けています。

彼のもとには日本から多くの若い医師や看護士が集まり、現地スタッフと共に大きな広がりを見せています。
今回は彼の拠点であるミャンマーを訪ね、彼が見つめる命を・・・そして若き医師、看護士たちの未来のあかりを捉えていきたいと思っています。

アフリカスーダンの川原医師、カンボジア・ミャンマー・ラオスの赤尾看護士、そしてIKTT森本喜久男さんに続き命の尊さを見つめる吉岡医師を撮影開始です。これから何度も海を越える覚悟をもって生命を見つめたいと思います。

彼の撮影は初めてなのでまだお見せできる写真はないのですが、帰国後に紹介したいと思います。

すばらしい日本のこころがある、すばらしい人がいる。

・・・日本で得た知の勉強と育まれた心、それを活かす行動への情熱がひとつずつ少しずつ日本を進化させていくのだと、それは人類の進化ということを強く根幹において、それを伝え継ぐことに懸命になりたいと思っています。
また新たな地へ果てしなき挑戦です。命の儚さと尊さを伝えます。


命にあかりを灯すことを・・・  命が灯っている限り、どれほど遠くまででも。

それでは、メリークリスマス☆ 佳い年をお迎えください。

行ってきます !

2013/12/20

明日21日放送のお知らせ・・・IKTT カンボジア絹絣

  • 明日21日放送のお知らせ・・・IKTT カンボジア絹絣の画像
  • 明日21日放送のお知らせ・・・IKTT カンボジア絹絣の画像

12月21日にNHKワールドにて、カンボジア伝統織物(IKTT)で復興にに取り組む彼らの活動が50分のドキュメンタリー番組としてが紹介されます。


残念ながら日本では電波放送はないのですが、当日インターネットで視聴できます。
ちょうど私が10月にカンボジアIKTTに訪問した時に取材されていて、
その取材に対しての取組み、情熱、気遣い、見識に於いてすばらしい映像マンと出会いでした。
森本氏が取り組む絹絣に対する知見と情熱が表現されていると思います。

経済大国日本が岐路に立っている今こそ森本喜久男氏が取り組む姿勢から多くのことを学べると思うのです。

ぜひ多くの方に見て頂きたいと思います。


放送局:「NHK World(NHKの海外向け英語放送)」
放送日:12月21日(土)
番組名:『Asian beauty Reviving Khmer Ikat Silk A Japanese Man's Quest』

放送時間:0:10/ 4:10/ 8:10/ 12:10/ 16:10/ 20:10 (時差対応のためリピート放送)

※同日に限り、以下のサイトでライブストリーミング放送 http://www.nhk.or.jo/nhkworld
※国内のケーブルテレビ局を通じての「NHK worldTV」で 視聴できる場合もあります。 http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/... http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/...

2013/12/17

福島 帰還困難地域を行く・・・01

  • 福島 帰還困難地域を行く・・・01の画像
  • 福島 帰還困難地域を行く・・・01の画像
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2013年11月15日 福島 帰還困難地域を廻った。
上記の写真は国道6号線(原発から約3km地点)から福島第一原発を捉えたもの・・・哀しく切ない想い。

確かなる目的を持って浪江の町に向かった。
そのレポートはこちらに >> http://www.js-foundation.com/...

浪江町から6号線を、双葉、大熊、富岡町にと車を走らせる。
この秋、「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」、「帰還困難区域」と線量の数値で区分けされた道を進む、政府の思惑も感じる道・・・複雑な気持ちになる。その区分再編を各自で調べて現実を感じてほしい。

私も311後、すぐにロシナンテス川原医師と宮城県名取市閖上地区に入った。
そして東北中の被災地を巡ってきた。福島にも何度も通ったけれど立ち入りが厳しく制限されているこの帰還困難地域に入ったのは初めて。

私自身の被曝を考えれば決して入るべきところではない。
しかし、カメラマンである以上、今を生きている人として・・・そして東日本大震災を見つめてきた1人として避けては通れない場所。
この忘れられた町々を微力でも伝えていかなければと思う一存からカメラを持って入った。

浪江町に入ってあっという間に瞬間的に5μsv/hを超える。
その日の最高値は20μsv/h・・・大熊町のR6の坂道。
それ以上の数値も当然あるだろう。当然低い線量の場所もある。
滞在時間は約5時間・・・この日の私の被曝積算線量は約5μsv/day。
この計算も各自で冷静に調べて勉強して精査してほしい。

瞬間的だけれど、この程度の放射線を浴びても私は何も感じない、気持ち悪くにもならない。
目に見えない放射能は、10年後20年後に発症するのかもしれない。
私はそれを抱えて生きていく。
それはヒロシマで生まれたDNAが許せないと言っているんだろうと思う。
私の愛する子供たちは正々堂々の被曝3世。

子供たちを育むのは極めて過酷な環境が、ここにある。

今回の訪問では、当然だけれど20代、30代の同行は拒否した。
全員が50代以上・・・それでも会いたい人がいる、忘れられ捨てられた町がある。

幾重もの検問を通過する・・・これが日本の現実。
アフリカスーダンでは当たり前の検問が、ある意味・・・厳しい形で存在する日本の姿。

検問に従事する方、原発現場の途方もない作業に従事する方、パトロールする全国各地の若い警察官、そしてこれらの町に携わる多くの方が高い線量を浴びながら必至に帰還困難区域内で従事している。

・・・彼らの身体を案じる、同時に感謝する。

異常な世界がここにある。

忘れてはいけない2013年の現実の日本の姿




案内してくれた浪江町役場の方が語る・・・

 「私の家も津波で流されました。古い農家なのでたくさんの部屋がありました。今の仮設は2部屋です・・・それだけでストレスになるのです。もうあの家には帰れないと思っています。しかしこの町が私の故郷です・・・放射能で汚染され身捨てられた町です。その現状を伝えてください。今回は来て頂いてありがとうございます」・・・と。

この言葉を受けとめて、せめてものあかりを灯すために私はまた浪江に何度でも向かいます。

それはソーラ街路灯という物の支援ではなくて、やはり・・・

「私たちは忘れていませんよ、いつも想っています」

という心をソーラ街路灯という灯台に想いを込めているんだと。



福島帰還困難区域を廻って強く感じたことは、人間文明は核というお化けを扱ってはいけないということ。

放射能をばら撒いてしまう原子力を扱ってはいけないということ。
そして我々は、この甚大な汚染と向きあい、付き合わなければならないということ。
人体実験されている環境に強い怒りを持って。


あかりを灯すことを・・・

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3枚目の写真キャプション・・・

避難指示解除準備区域に指定された南相馬市小高区の中学校に灯されたソーラ街路灯

この学校に子供たちの声が響くのはいつのことだろう

しかし・・・あかりを灯す。

この土地に住んできた人、先祖にも敬意を払って祈りのあかりを灯し続ける。

今後、浪江町にも設置していく。

その心のおこないを写真に記録していきたいと思っています。


「いつか子供たちに伝えたい どんなふうに人が夢を繋いできたか・・・」


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内藤順司

内藤順司画像 内藤順司プロフィール 1959年生まれ。広島県広島市出身。 1980年より。主に音楽フォトグラファ... もっと見る

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